「人とは死ぬと、どのようになるのだろうか?」「死後の世界はあるのか?」
誰もが、1回くらいは疑問に感じたことが、あるのではないかと思います!
死んだ人の実際の体験を聞くことは不可能です。
本日は、死んだ後というのは、どんなものなのかという点に焦点をあてます。
仏教やキリスト教における捉え方だけではなく、様々な臨死体験を紹介させて頂きます。
目次
「死」とは何なのか?
「死んだらどういうふうになるのか?」と考え込む前に一つ質問なのですが・・。
あなた自身にとって「死」というのは何でしょうか?
驚くことに、依然として、明確に、規定されていないのです。
心臓が止まったらですか?
間違いなく、体は冷たくなっちゃいますよね?
脳が停止したらでしょうか?
脳の機能が止まってしまえば、心臓も、他の臓器も動かなくなります。
人工呼吸器を外したら、息も止まりますしね。
ですが、臓器移植が発展した現在において、心停止も、脳死も死の定義については、少々違うように考えられます。
歴史・文化あるいは宗教、各自人の考え方次第で、死というのは変わってしまいます。
現実の上で、死んだ人に聞いてみたいと思いますが、返事はありませんよね。
確かな情報がないので、人によって、怖く感じるのだと思われます。
魂はあるのか?
「21グラム」とされる映画を見た事ありますか?
心臓移植が題材のアメリカ映画になります。
タイトルの「21グラム」に関しては、何の数字かと言いますと、とある有名な実験を、紹介することが大前提となります。
100年以上前、アメリカ・マサチューセッツ州の、ダンカン・マクドゥーガル博士が、ある実験をしました。
瀕死の重傷者、6人が横たわるベッドを軽量したのです。
死ぬ前後の体重を計っていました。
死後の乾燥・体液・ガスというような変化を考えて、人間の魂の重さについては、4分の3オンス言ってみれば、21グラムであると、断定しました。
余談ですが、イヌ、15匹においても、計測したのですが、21グラムは減っていないという見解です。
大昔の実験となってしまうので、確かであったかは分かりません。
当時の計測器が正しかったのかどうなのかもはっきりしていません。
ですが、死後に体から魂が離れていきますというような説については、現在でもたくさんの人に信じられているのです。
仏教では輪廻転生
仏教では、死後どのようになるのでしょうか。
常日頃の話しであれば「極楽に行ける・仏になる」というような話も聞かされていますが、半分が正解、半分は不正解になります。
仏教やヒンドゥー教というのは、死についての、恐怖を緩和するための宗教になります。
宗派にも左右されますが、原則として、輪廻転生を信じているのです。
死んだ後に、生まれ変わって、ヒトあるいは動物になると言われています。
輪廻を繰り返すさなかに悟りを開いた人間というのは、この環から外れるのです。
迷いも悩みを持っておらず、魂が安定しているからです。
西の彼方における、極楽浄土にたどり着きます。
この極楽浄土こそが、仏教の目標とすべき、最後の場所のことです。
キリスト教は神のところへ
キリスト教というのは、死んだ後に、何処へ行くのでしょうか。
プロテスタントとカトリックで、認識が少し異なってしまいます。
類似している部分というのは「神のところへ帰る」とされる考えになります。
装備も死者の為にと思ってするものではないのです。
神を畏敬の念を抱く行為だということです。
最後の審判の際、今まで死んだ人あますところなく復活するのです。
神の国で永遠の安らぎを手にするか、地獄で永久の苦しみを味わうかということが決定されるのです。
ミケランジェロにおいてのシスティーナ礼拝堂の壁画が有名になります。
イスラム教も天国か地獄へ
イスラム教もキリスト教と類似するポイントがあるのです。
アッラーにより、天国か地獄のどっちに行くか決定されるのです。
これを「最後の審判」と呼んでいます。
イスラム圏では、肉体が消えてしまうと天国に行くことができないとのことです。
亡くなりますと、土葬がなされて、埋葬された翌日に魂が離れるのです。
善良な人間については、所定の位置に留まり、邪悪な人間については、牢屋に拘束されるとのことです。
ユダヤ教は土に帰る
「死んだら、土に帰る」まさにそれが、ユダヤ教の見解になります。
天国も地獄も存在しません。
どれもこれも全てが終わりになります。
ただただ、無に帰るのです。
このように言われてしまいますと、生の意味を考えてしまうかもしれませんよね?
救いなんてないようにも、考えてしまいます。
現代においては、キリスト教に影響されて、死後の世界があると信じる宗派も存在します。
死後の世界はあるのか①『死んだ自分が見えた。』
死ぬことで、意識がなくなると、どうなってしまうのでしょうか。
「自分の肉体を見る」というような説もあるのです。
ある研究などによって、死んで後も少しの時間は意識がある事が明らかになりました。
サウサンプトン大学の科学者については、イギリス・アメリカ・オーストラリア等といった病院でチェックをしました。
15の病棟で、心停止した患者2000人以上を4年に及び調べたとのことです。
衝撃的なことに、心停止後に、生き返った人の約4割が、意識があったと供述したといいます。
心臓は停止しているというのにです。
男性のひとりは「心停止中に、自分の体を部屋の角から眺めていた」と証言しました。
肉体は機能を停止したとしても、魂が側にいる事になるのです。
そのタイミングで死を、認識するのですが、恐怖はなかったとのことです。
死後の世界はあるのか②『走馬灯を見た。』
「記憶が走馬灯と同じく蘇る」というのはよく聞く話ですね?
言うまでもなく、走馬灯というのは中国発祥で、飾り用の灯りになります。
ろうそくの光で、くるくると影絵が動きを見せます。
馬の影絵が走っているかのように見えることになるのです。
このことより、突然に、過去の出来事を想起する比喩に使うようになりました。
瀕死状態より、奇跡的に生還した方々が、数多く体験したそうです。
日本ならではのものではなく、全世界で見られる現象になります。
海外では「パノラマ記憶」というようにも言われているのです。
事故や溺死であったり、突然、死に掛けた場合に、多いとのことです。
死に遭遇して、脳がどうにか助かる方法を選び抜いていると想定する医師もいるのです。
さらに、走馬灯を見る可能性が高いというのは溺死になります。
記憶を管轄する海馬が、酸素不足でパニック状態になるのだと思われます。
結果、デタラメに記憶を持ち出してくるようです。
それらの他にも、アドレナリンが大量分泌されるとか、要因は複数あるのです。
死後の世界はあるのか③『幸せな気持ちに包まれた。』
「これまで、感じた、痛みが消え去って、神秘的な幸福感に、溢れ返っていた」臨死体験をした人には、そんなふうに、言う方もいるのです。
「心も、体も、すがすがしくて、今まで、味わった事が全くない、安息でした。」というようにも。
何千人を超える患者を看取ってきました、医師の話によると、泣き叫びつつ、死ぬ人は、いないそうです。
死ぬ直前至るまで「痛い、つらい」と訴える方は、いらっしゃいます。
だとしても、死を迎えてしまえば、さすがに何もいいません。
一体全体、それは痛みが消え去ったのか、言えなくなったのか、どっちなんでしょうか?
生きてるうちは、苦しい事が、いっぱいあります。
できるのなら、死んだ後までも苦しみたくありませんよね。
死後の世界はあるのか④『大切な人に会った。』
「事故に遭った時に、兄がとことんまで励ましてくれました」運行中のバイクから放り出されて、重体になったMさんについては語ります。
道に倒れている間ずっと、亡くなったはずの、お兄さんがすぐ側もいたとのことです。
「頑張れ、死ぬんじゃない!」とず~っと声をかけてくれていたのです。
もうすでに、死んでいる人と出会う、うそみたいに思いますよね。
実のところ、脳科学的に実証されているのです。
記憶に関しての、側頭葉を刺激を与えることにより、想い出が蘇ることがあるというのです。
心臓が止まった後、側頭葉がエキサイトして、過去を引き出してくるのです。
死後の世界はあるのか⑤『別の世界に行った。』
アメリカ、ハーバード大学の准教授が、意識がなくなって、7日間も大脳が停止しまのです。
大脳は、語ったり、身体を動かしたり、するための大事なところになります。
脳が働いてない、つまりは脳死状態となりますが、意識はあったとのことです。
何をしていたのかと言えば、門をくぐったり、音楽に溢れている世界に行ったりしてたとのことです。
深い闇の中に落っこちたり、一方で光がいっぱいになっているなど、神秘的な世界を旅していたそうです。
7日後、何の問題もなく戻ってきたのだそうです。
死後の世界に関しまして、まとめてみました。
天国や地獄に、到達するというような考えは有名ですね。
それらの他にも無になる・魂は体のそばに存在する・別世界に行く等、数々の憶測が飛び交っているのです。
「人は死んだらどうなるのか」というのを、これからも様々な説が生じるでしょう。
真実はハッキリしていませんが、何を信じるかについては自由になります。
ひょっとしたら、将来的に、解き明かされるかもしれないですね。