日本が植民地化される事がなかった一因として考えられるのは、西欧において、距離があったからとか島国だったから等「地政学が理由として」指摘される事がありますが、その当時の日本人の資質が他のいずれの国の人たちとはかなり違っていたためだというポイントが大きいと言われています。
その当時、徳川家康はキリスト教を統制するというよりも、貿易においての経済的利益を重要視したため、「キリスト教信者」が急増したと考えられます。
そのせいで、幕府からすれば「キリスト教信者」が急増した事は脅威となったのです。
スペインが、キリスト教を広めて日本を侵略しようと考えている事を知り、幕府は1612年、「キリスト教禁止令を」出し、以後、幕府は日本船の渡航にまで少しずつ制限を加え、1612年においては、日本人の海外への渡航も帰国においても、全て禁止するようになりました。
その後、「島原の乱」といった「反乱」もあって、「鎖国」を行なっていなければ、今、現在の日本はキリスト教によって違う国となっていたことも考えられます。
フランシスコ・ザビエルの至言
フランシスコ・ザビエルと言えば、ご存知のことからわかるように、「イエズス会の宣教師。」
最初に日本において、「キリスト教」を広めた「イエズス会創立者」の一人です。
フランシスコ・ザビエルは日本の事を、手紙において、このように書き記しています。
「この国、日本の人々はこれまでに見い出された国民の中において最高であって、日本人以上に優秀な人々は、異教徒のあいだにおいて見つける事はできないでしょう。
日本の人々は親しみ深くて、一般的にいって善良であり、悪意が一切、ありません。
想像以上に名誉心の強い人々で、他の何ものにおいてよりも「名誉」を重んじます。
ほとんどすべての人々は貧しいにも関わらず、武士も、武士でない人々も、貧しい事を不名誉と考えていないのです。」
西欧人とは違うたくさんの異人に触れてきた「ザビエル」は、日本人が極めて「民度が高く」優秀な事に驚き、このような内容の「讃嘆」を反復し申し述べていたなどと言われています。
おそらく「ザビエル」は、ヨーロッパと比べて日本の文化の水準の方が高いと感じたのだと思われます。
具体的に言えば、「好奇心旺盛で、あれやこれやと質問したり、知識欲が旺盛で、質問はきりがみられないほどします。」
「すごく気立てが良くて、想像以上に理性に従います。」
「日本の人たちは慎み深く、更には才能があって、知識欲が旺盛であり、道理に従って、他にも色々な能力の高い素質がある」と言っており、その優秀な資質に驚きを隠したりしなかったと言われています。
更に、清貧を良しとして、名誉に敬意を払うといったことが、その当時の日本人の特性としまして特筆されていました。
「日本人達は、キリスト教の諸地方の人たちが一切持っていないといわれる特性を持っています。
その特性とは武士らが、どれほど貧しくとも、あるいは武士とは違う人々がどれほど金持ちだとしても、非常に貧しい武士は金持ちと同様に尊敬されています。」
「名誉は富よりず~っと大切なものだとされています」。
西洋の侵略より逃げられた理由
「ザビエル」においては純粋に布教の希望で日本にやって来たものと言われています。
ですが、植民地化の先兵の形での役目をはたしていた「宣教師」も大勢いたというのも事実です。
宣教の名を利用して他国に侵入し、それを足掛かりとして侵略していくというような方法です。
明治維新後、日本にやって来た「チェンバレン」は、このように言います。
「わがキリスト教と人道主義をふりかざす人びとが、実のところ単なる偽善者に過ぎない事をどこの東洋諸国民もよく知っているので彼ら(日本人)もまたちゃんとよく知っている」
大航海時代というのは実を言うと、ヨーロッパ諸国の大侵略時代でありました。
東南アジアは多く植民地化が行われ、日本にもその魔の手はやって来ました。
しかしながら西欧は、他の人種とは異なるのを日本にみて、侵略する事に困難を感じていました。
そのワケは「武士の存在」です。
「名誉心が強く」、人に誇りを傷つけられるのであれば、「死を賭したとしても」それを防御するといった武士は、侵略する側においては極めて一筋縄ではいかない存在であったのではないでしょうか。
イタリアのイエズス会巡察師のアレッサンドロ・ヴァリニヤーノは「日本は何かしらの征服事業を企てるターゲットにおいては不向きと考えられる。なぜなら日本国民はかなり勇敢であり、それどころか絶え間なく軍事訓練を積み上げているので、征服可能な国土ではない」と言っています。
進取の慣習が見られる種子島に鉄砲が到来し、二挺買取ったら即座に「鉄砲」を自分自身の手で作成し、10年の内に日本に浸透させる日本人の凄さ。
このことは新しい物を採り入れる意気込みと明敏さを伴い、加えて、伝達網がきちんとしているという事です。
「進取」、「自主」が為し得ない国がほとんどで、植民地化されていました。
「民度の高さ。」
字の読み書き可能な人がその当時の割に多く存在し、「理知的で理解が迅速。高い道徳性で秩序が保持されている。つけ入るスキもない。」と言われていたとのことです。
地理的条件、日本はヨーロッパから遠く、それに加えて東南アジアの植民地から考えても遠方なので、海に囲まれ、侵略の軍を出すにせよ陸続きの「兵站の補給」をすることができない。
そういうことの理由として諸外国は、容易な侵略は手控えざるをえませんでした。
それに伴って、戦法変更し、第一段階は宣教あるいは貿易で門戸を開かせ、キーポイントを作り、その後、戦争にもっていく、そういった戦法だったと思われますが、江戸期の指導者はそれを見抜いており、詰まるところ「鎖国」といった政策を行い、相手が来られないようにしたというわけです。
フランスの啓豪思想家、ヴァルテール(1694~1778)は、「習俗試論」といった大著を著しています。
その本の最終章は、どういうわけか日本に関する記述で、「17世紀の日本と同国に関してのキリスト教の消滅につきまして」という題で、下記の通りに述べております。
「日本人は寛大で、好意的に、誇りの高い、そして、その決断に関しましては極限の一民族です。彼らは最初異国人たちを好意をもって受け入れた。しかしながら、自分達が侮辱されたと信ずるや、彼らとはキッパリと縁を切った」と言い、キリスト教の日本壟弾の意図に関しての日本の英断を称賛しているのです。
インドの首相ネルーは、この時期の日本についてこのように語っています。
「寧ろかれらが、ヨーロッパにおいて、全く交渉がなかったにも関わらず、宗教といった羊の皮をかぶった帝国主義の狼を見破る洞察力をもっていたことこそが、おどろくべきことではないか。」
そうやって、西洋のとんでもない植民地化のトリックから脱した日本は、世界史的に特筆するべき長期の平和な江戸時代を築きました。
後々、アメリカのペリー提督がやってきて欧米の武力を背景として開国を迫ります。
結局最後には日本を植民地化しようとしていたとのことですが、それについても控える事が出来ました。
その当時は中国においては「太平天国の乱」が起きていますし、インドにおいても「セポイの反乱」が起きています。
これによって中国やインドでは一般市民が暴れまわっていたのです。
そんなわけで欧米は団結した民衆の力の恐怖を認識したのではないでしょうか。
もう1つはアメリカの南北戦争だとも言えます。
アメリカは南北戦争によって日本に構っている事が出来ない状態になりました。
アメリカ国内で戦争をやっているのに、アジア極東の日本がどうのこうの考えている状況では無くなってしまったのです。
その間に、「富国強兵政策」と言えるものを行い、10年間で日本は軍事等の近代化を実現し、欧米と戦える力を保持する事が出来たのです。
時は流れ前回の大戦で負けた日本は、アメリカに占領されたのです。
その際にアメリカのGHQは日本の憲法を決めてしまうというものを行っているのです。
そのことが今でも尾を引いており、今現在の日本の状態はアメリカの植民地と言う方もおられますが、それは極端ではないでしょうか。
現実的には植民地化というようなことまでは言い切れませんが、アメリカの意向をすごく汲み取っている場合も存在すると言えるでしょう。
これから先の日本は少子高齢化等もありますのでどういうふうに進むかについては全然分からないという面もあります。
ですが、上記で述べた通り私達の先祖たちが様々な逆境を乗り越えてきたからこそ現在はあるのではないかと思います。
現時点で行なえる事をちょっとであろうとも考えて、明るい将来を創り上げていこうではありませんか。
と思います!